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5☆『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』の読書感想

 今夜の読書感想は、『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」』(著者:山口周、発行所:㈱光文社、初版:2017年7月20日)です。

※記事中の「筆者」は当ブログの管理者のことです、「著者」と紛らわしいですが現在のところブログ内全てを筆者で通しているため悪しからずご了承ください。

本書との出会い

 本書との出会いは、勤務先の総務人事部長が社内のサイト上で、推薦図書として共有していたのを見かけたことがきっかけだった。”世界のエリート”とか”「美意識」を鍛える”だとか、「経営における「アート」?」とか、タイトルの全域に興味の沸く活字が踊っているので、早速図書館で予約し取り寄せた次第です。

 著者である山口周の著作としては、過去に『ニュータイプの時代』ダイヤモンド社(初版2019年7月3日)を読んだことがあったが、こちらもタイトルのセンスが良くて、今回も入りは同じ感じだ。本書はこちらより2年前に書かれた著作になる。

序盤で圧倒、完結か?

 「忙しい読者のために」と銘打って、序盤で本書で言いたいことのまとめをはっきりと明示しており、VUCA(「Volatility=不安定」「Uncertainty=不確実」「Complexity=複雑」「Ambiguity=曖昧」)といわれる今日の世界の状況を前にしたあり方、自分なりの「真・善・美」の必要性について説かれている。目次から合わせて僅か20ページ程度のこの序盤で、ある種潔い完結感を思わせるスタートである。

濃縮度合いが半端ない

 時として軽妙な語り口や意図的な脱線、問いかけなども交えつつ、著者の大胆かつ情熱ほとばしる書きっぷりに、どんどん読み進めていくことになる。きっと話しても面白い方なんだろうということが滲み出ている。ともすると挑発的にも聞こえる大胆な論評もあると思うが、著者が意図しない解釈にならないよう、随所で前提なり背景なりを丁寧に解説してくれている。

 著者の豊富な知識と経験も含めた教養、古今東西(洋の東西を問わず、また時代も紀元前から現代までと広範囲かつ幅広いジャンルに及ぶ数々)のエピソードが、約250ページの中にふんだんにアップテンポで挿入されており、その濃縮度合いたるや半端ない。

読了後には付箋がいっぱい

例えばサラリーマン生活の中でも・・・

 筆者の長いサラリーマン生活の中でも思いあたるような状況もいくつも浮かんできた。例えば、

・論理と理性に偏重した意思決定の営みの中で「今は決められない」という袋小路

なかなか上に説明に行かない、そこまでいる?という情報収集、使われなかった作文や図画工作(作成資料)等々、なるほど数々のシーンが走馬灯よろしく駆け巡る方も多いのではないだろうか。

アカウンタビリティ(何故そうしたのかを説明出来ること)が意思決定の責任放棄の方便に

これはこれまでの上司等にも見受けられるだけでなく、筆者も耳が痛い。判断すべき本来の事象とは別の部分での判断(その時点での辻褄)をこのアカウンタビリティによって成してしまっている自覚もたぶんある。

・システムを修正できるのはシステムに適応している人だけ、システムの要求に適合しながら批判的に相対化する

前半部分は会社に対して積極的に関与して貢献しようとする(していた)サラリーマンなら誰しもが考えたテーマである気がする。シンパの多い上司に後半部分を垣間見てきた気がしないでもない。

等々・・・。

著者が体現する黄金のトライアングル

 二度目のルネサンスを遠くに標榜しつつ(いわば「アート」)、自らの幅広いかつ専門的な経験に基づき(いわば「クラフト」)、論理的構成(いわば「サイエンス」)で畳み掛けてくる書きっぷりは、正に著者が主張しているアート主導のサイエンスとクラフトが脇を固めた黄金のトライアングルのことになる訳で、その体現が本書(作品)そのものだと感じた。

 「主観的な内部のモノサシ」=自身のスタイルが持てるためにも、芸術に触れる、教養を磨く(哲学、絵画や文学、詩、等々)ことの貴重さが伝わってきた。哲学とは何かについても解を示しているのも嬉しい。

 4ヶ月ぶりに現れた、5☆(ファイブスター)の絶賛本としてここまで書いてきたつもりだが、ただし一方で、著者が警鐘を鳴らしている「無批判に受け入れるという”悪”」に絡め取られないように気をつけねばなるまい。