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「信長の野望 大志」三村家親プレイ記録 第参話ー毛利との決別ー

 本記事は、信長の野望 大志」シナリオ「厳島の戦い」、三村家親プレイ記録の第参話ー毛利との決別ーです。時は1557(弘治3)~1560(永禄3)年。

[前話]

動き出す毛利元就

 尼子との小競り合いはあったものの、厳島の戦い以降力を溜めていた感のある毛利がいよいよ精力的な動きを見せ始める。
 1557(弘治3)年11月、河野へ宣戦布告し、伊予国能島城へ進軍(我が三村は毛利へ加勢表明)。

毛利はこの後早々に能島城を攻略する。

 翌1558(弘治4)年1月には大内へ宣戦布告し、石見国高津城へ進軍。ちょうど時期を同じくして対毛利対策として大内へ親善を開始していたが、毛利とはまだ本気で対したくないことから、今回も毛利へ加勢表明する。タイミング的には悪く、対大内友好政策は破綻することとなった。

毛利はこの後早々に高津城を攻略し石見国支配下に置いた。

 我が三村家は高田城攻略以降、領土は拡大していないものの、国力は19位(2年前は25位)と着々とUPしてきている。農兵の徴兵に加え、月々の俸給を払って足軽も雇用し兵数は14,000(2年前の7,500の二倍弱)まで増やしてきた。

兵数で尼子と肩を並べる状況になってきた。

 一方、国力のワンツースリーは史上最強との呼び声高い三国同盟の北条、武田、今川となった。

毛利との決別

 3月に入ると、毛利軍が大内、河野と対している間隙を突き、狡猾で執拗な尼子が毛利へ宣戦布告する。この戦いではどちらにも加勢しない。

 確かに備後国及び安芸国の東方がかなり手薄な状況となっており、我々も疼くものがあったが、三村単独で毛利に対するにはまだまだ戦力が整っておらず、援軍として期待できる浦上が毛利と同盟関係にあるうちは、まず時期尚早である。

両者の消耗戦を期待したい。

 しかし、尼子の毛利領への侵攻に対し、思いもかけないことに毛利側に加勢もしていない状況で毛利が我々に援軍を要請してくる。これまで毛利による我々への敵視政策の転換を期待して、親善活動に金銭を投入し、幾多の戦いで毛利側に加勢もして来たが、一貫して一方的な敵視政策にて接し続けてきた相手に虫が良過ぎるんじゃないかという嫌悪感が湧き起こってきたので、援軍要請を断る。

 これで毛利による敵視政策はより強まることになるだろうが、毛利と尼子が潰し合いをしてくれることは、我々にとって最高の状況であるのだから。

毛利との決別の決断を下す。

 尼子の毛利への攻勢は先に奪われていた備後国比熊山城を奪還したところまでで、両者の潰し合いは残念ながら長くは続かない見込みだ。

鶴姫の元服

 三好と浦上との同盟を延長して迎えた1559(永禄2)年1月、次女の三村鶴姫が同い年の上野隆徳(統率67、武勇59、知略41)と共に元服する。

 上野隆徳は、数値上の能力こそ高くないが、戦闘時に部隊の士気を上昇させる個性「士気」を保有しているのと合わせ、部隊長として有用な「奮闘」という戦法(自身の攻撃力と防御力を小上昇し、士気回復を大上昇)を持っている。この二人は史実通り年頃になったら婚姻させたいと思っている。所謂許婚とする。

家内で清水兄弟に次ぐ3番目の武勇84を誇る鶴姫

 毛利元就が大命「謀多きは勝ち」(工作成功率を大上昇、隣接勢力の武将の忠誠を1低下、期間180日)を発令。これ以降毎年の4月と10月に恒例行事としてしつこくも継続して実施されることとなり、どちらかが滅亡するまでおそらくは隣接しているので、敵対関係にある以上年がら年中この大命の影響下に置かれることとなる。

毛利元就の大命の一つである「謀多きは勝ち」

備中大商圏の誕生

 年が変わり1560(永禄3)年、国力は18位にUPし、これまでの商圏拡大が実り領内初の大商圏、備中大商圏が形成されるに至る。これまで領内で最高の収益を生み出していた特殊商圏の倉敷商圏を上回る商圏の誕生だ。

一国を支配下に置くことで可能となる大商圏、備中大商圏の誕生。

尼子掃討へ全軍投入

 4月、大内、河野と講和し戦力を整えた毛利が尼子へ宣戦布告し、比熊山城、翁山城と立て続けに陥落させ、備後国を統一。尼子勢は総崩れ状態となっている。

尼子だけに集中する毛利。

 ”時が来た”、今こそが尼子を追い詰める絶好の機会と見て尼子へ宣戦布告する。今後の勢力拡大と毛利対抗には尼子家の吸収が欠かせなく、領土もさることながら、武将を総取りしていきたいところ。逆に毛利に領土と武将を総取りされると益々国力に差が生まれてしまうことになる。

毛利の本気モードに尼子領が削られていく。

 毛利軍は備後国平定後も勢いは止まず、出雲国へ進軍中である。今や尼子の拠点は、出雲国三刀屋城、新山城と本拠地である月山富田城伯耆国の八橋城の残り4つとなった。

 北上して八橋城を奪取するのが最も無難な策と思われるが、毛利に出雲国を平定されることによる国力増長を考えると、出来るだけ毛利の拡大を抑えたい。また、城の攻略のタイミング次第では、武将も総取りされてしまう可能性が残る。更には、自軍が八橋城攻略に時間を要した場合、毛利が出雲国平定後にその足で備中へ進軍してくることも有り得る。

 そこで、連戦中の毛利と対峙することとなっても負けない兵数を持って、毛利と尼子の最前線である尼子の本拠地、月山富田城を攻略目標とする。毛利による出雲国平定を阻止し、かつ毛利が八橋城に手を伸ばしたとしても飛び地となるため国力の分散にもなる。また、毛利軍の前線に兵を繰り出すので、毛利軍が我々備中国侵攻に切り替えた際にもその場で対処出来る。毛利が八橋城まで手を伸ばさなければ、月山富田城を落とした後、ゆっくり八橋城を攻略すればいいわけだ。

 というわけで、領内3拠点の全兵力、兵数19,200を持って敵の本拠地である月山富田城へ進軍を開始した。

まだ軍勢の移動速度が遅いため月山富田城まで37日も要する。

上野隆徳をこれまでの清水弟部隊の部隊長に抜擢し、鶴姫も副将として出陣させる。