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「信長の野望 大志」三村家親プレイ記録 第四話ー尼子掃討戦ー

 本記事は、信長の野望 大志」シナリオ「厳島の戦い」、三村家親プレイ記録の第四話ー尼子掃討戦ーです。時は1560(永禄3)~1561(永禄4)年。

[前話]

月山富田城包囲戦

 月山富田城に全軍を擁して進軍中、尼子側が予期せぬ手を打ってくる。山名からの援軍、荒木氏綱軍がもぬけの殻となっている我々の高田城へ鳥取城から南下して兵を進めて来たのだ。高田城を取られては、作戦中の月山富田城攻略の元も子もないので、浦上へ援軍を要請し、浦上勢にて対処することとする。山名vs浦上の代理戦争の様相を呈する。

浦上から津山城宇喜多直家部隊を借り受ける。

 三村軍本隊が月山富田城を包囲した頃、毛利軍は既に出雲国の他の二つの城(三刀屋城と新山城)を陥落させていた。

尼子の本拠地、月山富田城を包囲。

 一方、援軍の宇喜多直家隊は、南下して来る山名の荒木氏綱軍を敵領内の湯関にて待ち受け、見事に撃破。ここを突破されてしまうと領内の3城全てが危険に晒されることになったので、実に大仕事をやってのけてくれた。

値千金の活躍の浦上宇喜多直家隊。

 包囲している月山富田城では、尼子晴久を相手に清水弟を使者にして全面解放を条件に降伏勧告を実施。

尼子晴久は勝ち目がないことを悟り降伏勧告に応じた。

出雲国の一角、尼子の本拠地であった月山富田城を攻略。

 毛利軍は既に兵を引き上げてくれているので、あとは八橋城を落とせば尼子の武将も総取り出来る。次の八橋城攻めを見据えると、兵力的に無傷で月山富田城を攻略出来たのも大きい。

永禄4年の情勢

 年越しまでに浦上と三好それぞれと同盟を延長し、八橋城攻略へ向かう。年末には畿内備前、阿波を中心に大地震が発生し、三村領でも高田城で被害を蒙る。

高田城で人口と農地に被害有。

 年が明けて1561(永禄4)年、国力は13位にUP。

出雲国の一部を支配下に置く。

 全国の状況は、例の三国同盟の3勢力に次いで南部、長尾が上位を占め、東国の方ではより淘汰が進んでいるようだ。

毛利の国力は三好に匹敵してきている。

小大名から中堅所に存在感が高まってきたか。

兵数の動員力では2万を超えてきた。

尼子家の滅亡

 伯耆国八橋城攻めも包囲戦となり、水攻めにて攻略することとする。

八橋城を19,200の兵で包囲する。

時間は要すものの確実に落とせる水攻め。

第一関門であった尼子家を遂に滅ぼす。

 ゲーム開始より7年越しで目前の強敵、尼子を滅亡に追い込み、尼子家臣団を吸収。全兵力を注ぎ込んだ尼子掃討戦を無傷で乗り切ったのは予想以上の出来だ。

伯耆国統一戦

 伯耆国の八橋城が攻略出来たので、伯耆国の統一(残りの羽衣石城の攻略)と、因幡国鳥取城の攻略)の奪取を次の作戦目標とする。兵力は無傷で温存されているので、尼子と同盟関係にあった山名に直ちに宣戦布告する。

 山名はいつの間にか、因幡、但馬、丹後、丹波、若狭の5ヵ国を支配する大名にのし上がっているが、現在は畿内の浅井と戦争中であり、地理的に少し距離のある伯耆因幡エリアは狙い目のはずだ。

尼子の滅亡により同盟相手はいない山名。

 毛利への備えとして、前線の月山富田城尼子晴久、山中鹿之介、備中松山城清水弟の部隊を残し、山名戦は清水兄を総大将にして臨む。

初の大役(総大将)を担う清水宗知。

一色義道が篭城する羽衣石城を包囲する。

 早々に羽衣石城を包囲した清水兄軍。山名祐豊自ら赤鬼(赤井直政)、青鬼(籾井教業)を引き連れて押し寄せてくるも、兵数で圧倒する清水兄軍が軽くいなして駆逐する。

被害率26.7%と最小限の被害に抑え、羽衣石城攻めを継続する。

 羽衣石城城主の一色義道への降伏勧告の城主交渉は失敗に終わったが、敵の兵糧切れを待って攻略し伯耆国統一が成る。

備中に次いで伯耆国支配下に入り2ヵ国支配勢力となる。

因幡国統一戦

 清水兄軍はまだ城攻めの余力があるので、そのまま鳥取城の攻略へ向かわせる。

鳥取城は兵糧もたっぷり有り落とすまで2ヵ月以上かかる見込みだ。

 荒木氏綱が篭城する鳥取城を包囲している間に、またもや山名祐豊軍が押し寄せてくる。今度は同等の兵数規模であるものの、赤鬼と青鬼はいないようだ(赤鬼の父と兄はいる)。

この戦いで清水兄軍の尼子国久隊は壊滅。

 鳥取の戦いでは尼子国久隊が壊滅する等清水兄軍の消耗も激しく、降伏勧告の城主交渉も失敗に終わっていたので、次に敵が来襲した際には鳥取城の攻略は諦めざるを得ないなと思っていたところ、荒木氏綱軍が城から討って出てきた。

奥方隊が壊滅するも清水兄隊は生き残り見事な勝利。

 見事に清水兄軍が荒木氏綱軍を打ち負かし、鳥取城を攻略し、因幡国も手中に収めることになった。備中、伯耆に続き因幡と3ヵ国支配勢力となる。

当初の作戦計画を見事に完遂、立派に大役を果たした清水兄。

 清水兄軍を因幡から引き上げると共に、山名との講和を成立させこの年は暮れていった。