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【父が娘に伝える大日本帝国の物語】<S002>昭和17年6月ーミッドウェイ海戦の反省ー

 【父が娘に伝える大日本帝国の物語】<S002>本稿は、昭和17年(1942年)6月ーミッドウェイ海戦の反省ーに纏わる物語です。

 歴史は人の手を介して伝えられるものであるから、そこには取捨選択が有り、伝えられる側も人であるが故に感情が添えられる。置かれた立場により大義が何通りも存在するから、起こった事実とそれぞれの事情を多面的に捉えようといった意識がいつも肝要だ。我が国の歴史の物語に触れることが、自分の生まれた国に対する興味と愛着、自身のルーツに対する敬意、自分の頭で考える未来に繋がれば嬉しいと思う。

参謀源田中佐のミッドウェイ海戦の反省

 ミッドウェイ海戦は、後に大東亜戦争の趨勢の分界点とされ、貴重な戦力としての航空機や艦戦に加え、経験豊富な人材をも莫大に喪失してしまった致命的な敗戦である。第一航空戦隊参謀 源田實中佐は、戦後その著書の中で、ミッドウェイ海戦の反省として5点を挙げている。

Google Earth検索したミッドウェイ島

第1、ミッドウェイ攻略作戦の要否と時機

 驚くべきことだと思うが、航空参謀という要職にある者がミッドウェイ作戦の要否について疑念を持っていたということだ。太平洋における今後の戦略において、ミッドウェイ島の攻略が最も優先されることが、必然的なものであったかについて疑念があるということだ。真珠湾攻撃時のような綿密な作戦構想や諸準備も不足していたと感じていたようだ。

「当時の連合艦隊計画では、ミッドウェイ攻略後、南太平洋の敵側諸基地に対して破壊作戦を行うことになっていたが、その具体性については、第一弾作戦のごとく綿密なものではなかった。」
『海軍航空隊始末記』著者:源田實、発行所:㈱文藝春秋、初版:1996年12月10日

 また、最も優先されるべきは、敵艦隊の捕捉撃破であるはずが、米軍による初の本土空襲であった、4月のドーリットル空襲の影響を受けた、戦略的というよりは政治的な思惑に寄った気配があったように伺えることも吐露している。

「太平洋全面にわたる制空権制海権を獲得し、米本土と直接対決する準備を行う広大なる作戦の一環として意義を持つものであって、単に敵の本土空襲阻止等の目的をもって遂行さるべき性質のものではなかったと考えられる。」
『海軍航空隊始末記』著者:源田實、発行所:㈱文藝春秋、初版:1996年12月10日

 そして、作戦の時機についても、真珠湾攻撃作戦及びインド洋作戦と熟練の乗員の人事異動がなされてから、ミッドウェイ作戦まで1ヶ月しかなかったことによる、乗員が交代され後の訓練不足、5月の珊瑚海海戦に参戦していた”翔鶴”、”瑞鶴”、それに7月に竣工する”飛鷹”の空母三隻がこのタイミングでは戦列に加われなかったことをもって、下記のように断言している。

「ミッドウェイ作戦の時機は、過早に失したものと言わざるを得ない。」
『海軍航空隊始末記』著者:源田實、発行所:㈱文藝春秋、初版:1996年12月10日

第2、作戦構想

 一つの部隊に二つの大きな目的を同時に与えることは失敗を招く要因である。ミッドウェイ島の攻略と敵航空艦隊の撃滅というそれぞれがビッグイシューである二兎を追う作戦計画には無理が出てくる。

「我が海軍が第二段作戦を開始するに当って、何事を差置いてもまずやらなければならないことは、この空母を中核とした米海軍を徹底的に撃滅することであったはずである。」
『海軍航空隊始末記』著者:源田實、発行所:㈱文藝春秋、初版:1996年12月10日

 ミッドウェイ作戦とアリューシャン作戦を同時に実施するという作戦計画について、これも同じく集中の原則に反することである。

アリューシャンに分派した兵力はすべて、ミッドウェイ方面の決戦場に集中すべきであったし、また、攻略作戦等は敵艦隊誘出のための一手段として考えるべきであった。」
『海軍航空隊始末記』著者:源田實、発行所:㈱文藝春秋、初版:1996年12月10日

 また、連合艦隊司令長官 山本五十六大将が直卒する戦艦”大和”を擁する主力部隊と言われる戦艦部隊が戦場とかけ離れた位置にいることについても、指揮や戦闘への影響から疑念を抱くことになる。

「戦艦部隊と母艦部隊とを数百カイリも離れた場所に置くことなく、すべて母艦部隊の周辺に配備して、その警戒護衛に当たらせるべきであったと思う。」
『海軍航空隊始末記』著者:源田實、発行所:㈱文藝春秋、初版:1996年12月10日

第3、機密保持

 源田が3点目に挙げたのは、日本軍の全作戦計画に関わる機密保持の観点だ。

「我が方の防諜、暗号防衛、敵方に対する諜報、暗号解読等に根本的欠陥があった訳で、単に海軍だけのことではなく、国家全体として相当大きく抜けていた問題である。」
『海軍航空隊始末記』著者:源田實、発行所:㈱文藝春秋、初版:1996年12月10日

 第一弾作戦(真珠湾攻撃)と比較しても、連戦連勝の気運からか、作戦開始前から作戦中に渡って機密保持の徹底がなされていなかったエピソードがいくつも有り、源田自身もそう感じていたようだ。

「機密が破れては、いかなる名将も手の施しようがなく、また、逆に、凡将と雖も、敵に関する情報をすべて手に入れることが可能ならば、容易に勝ちを制することが出来るのである。」
『海軍航空隊始末記』著者:源田實、発行所:㈱文藝春秋、初版:1996年12月10日

第4、機動部隊の戦闘指導(1)

 従来から実施していた一段索敵のため、敵航空艦隊の発見が一時間半以上も遅れてしまったこと、日本軍と米軍の母艦の偵察機搭載機数を比較しても、偵察の重要性に対する認識に大きな差異があることを自戒を込めて指摘している。

「もし私が、単に経験のみを頼りとすることなく、数学的に索敵計画を立てていたならば、この索敵計画上の穴は充分に埋めることが可能であったと思う。」
『海軍航空隊始末記』著者:源田實、発行所:㈱文藝春秋、初版:1996年12月10日

 ただ、元を質して簡単に言ってしまえば、敵航空艦隊がミッドウェイ周辺にいないと思い続けていたことが敗因に直結しているわけで、それも、陸軍部隊を指定日にミッドウェイ島へ上陸させなければならないといったミッドウェイ島攻略を優先させている(もしくは制約を受けている)ことが大きいのだと思う。

第5、機動部隊の戦闘指導(2)

 陸上爆撃(ミッドウェイ島攻略)用の爆装から航空艦隊攻撃用の雷装への攻撃機の兵装転換の間に敵機の襲来を受け、空母三隻をあっと言う間に失うという致命的な事態を招いたことは後悔し切れないことだろう。既に発進可能であった艦爆36機だが、戦闘機の護衛無しでは敵空母に向わせられないこと、ミッドウェイ島攻撃から返ってきた攻撃隊を無事に収容することは、いずれも通常であれば正しい選択のはずだ。この究極なまでの判断を要される前の段階で既に作戦が崩壊していたと考えるのが妥当であろう。

「36機の2航戦艦爆隊を丸裸で送り込み、且、ミッドウェイ攻撃隊を燃料切れで海の中に不時着せしむるか」という問題に直面し、結局は攻撃を後廻しにして、ミッドウェイ攻撃隊を収容したのであるが、矢張りこれは、攻撃隊発進を先にすべきであったと思う。
※一部漢数字を数字に置き換えています
『海軍航空隊始末記』著者:源田實、発行所:㈱文藝春秋、初版:1996年12月10日

 源田がこのミッドウェイ海戦を経て、うまくいかなかった場合でも、所謂「後味」が悪くないといった観点で辿り着いた境地は、我々が生きていく上でも含蓄のある言葉として残る。判断に迷うことがあった場合に、日頃より自身の軸となる考え方(判断基準)を持っておくべきだ、ということだ。以後、源田は「見敵必戦」、敵を発見したならば必ず戦う、を実践していくこととなる。

 戦闘指導に当って犠牲の多寡とか、戦闘員の心情とかについて考慮を払うべきは当然でもあるが、他の要素とのかねあいについて、更に深く考えるべきであった。深く考えると言っても、転瞬の間に事を決しなければならない最前線においては、ゆっくり沈思黙考など出来るものではない。矢張り平生から、「右するか左するか」判断に迷うような問題を捉えて、自分としての判断基準を定めて置く必要がある。例えば、山口中将の「何時でも困難なる道を択ぶ」とか、あるいは英国海軍の伝統たる「見敵必戦」等のものである。
『海軍航空隊始末記』著者:源田實、発行所:㈱文藝春秋、初版:1996年12月10日