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三井記念美術館『国宝雪松図と吉祥づくし 幸せ運ぶアートの宝船』展覧会鑑賞

 2010年の4月から足掛け12年以上、425回にも渡って放送され続けている、BS日テレの「ぶらぶら美術・博物館」という番組で、ふと目にした「雪松図屏風」の感激が長い間心の底でずうっと燻っていて、とうとう三井記念美術館へ足を運んだ。

「国宝雪松図と吉祥づくし」展

 国宝「雪松図屏風」はそもそも、「松」という主題の持つ永遠不変、長命といったイメージや、きらびやかな金泥や金砂子が演出する祝祭的な要素を持ち合わせている。
 実生活において用いられる際に、何よりも期待されたであろう本作品の”おめでたい絵画”としての側面に焦点を当てて、お正月らしい鶴や七福神に代表される縁起の良い数多の館蔵品と合わせて展示することで、明日への活力に繋がる吉祥イメージが纏える、といった趣旨の展覧会で、新年明けてのこの時期での鑑賞にはぴったりだろう。

おめでたい品々から吉祥イメージのおすそ分けにあずかる。

「雪松図屏風」専用の展示室

 三井家が収集した、国宝6点を初めとする美術品約4,000点を所蔵する「三井記念美術館」。越後屋の跡地に三井財閥の本拠として建てられ、重要文化財に指定される三井本館の7Fにある。
 所蔵品の中の国宝の一つである「雪松図屏風」を展示することを目的に「展示室4」が作られている。この専用展示室は、絵に切れ目がかからないガラスが特注され、作者の円山応挙自身が「遠見の絵(遠方から見る絵)」という言葉を使っているように、この絵を人目で見渡すのに必要な約20mの距離が計算されている。

美術館入口は向えの日本橋三井タワーにある。

徹底した写生で絵画史を塗り変えた絵師

 作者である円山応挙(1733年~1795年)は、対象の写生をもとに「描かれたモチーフがその場に存在するかのような絵画」という新境地をもたらし、当時の京都を席捲するほどの人気絵師。中でも「雪松図屏風」は、応挙の唯一の国宝でもあり、写生の到達点とも評される作品で、「いかにリアルに描かれているか」といった迫真性もさることながら、迫央構図といわれる奥行きを意識した技法など、空間構築性といった文脈で語られる機会が多い作品である。

 本作品は、パトロンであった三井家の注文で描かれたものだといわれており、1887年に「新古美術会」と題して、京都御所の御苑内で開催された京都博覧会に、明治天皇行幸した際の三井家が催した献茶席にて使用されたように、歴代の三井家の晴れの日の中でもとりわけ特別な日に用いられたのであろうと伝えられている。

「雪松図屏風」を味わう

右の屏風(右隻)の絵葉書を入手(左隻は売切れていた・・・)。

リアルを越えたリアル

 「雪松図屏風」に描かれているのは、右隻に力強い老松が一本、左隻にまだ枝や幹が細い若木の松が二本、それぞれ雪を抱いて立っている。
 背景に掃かれた金泥と、画面の下方に撒かれた金砂子が、雪のまばゆいほどのきらめきを表し、他は墨と紙の白色のみで、雪の中にきらめく光を照り返して屹立する松の姿を情感豊かに描き出している。その迫真に満ちた表現は、リアルを超えたと評されるほどである。

和風遠近法の完成形

 右の屏風(右隻)の松の枝は手前に伸びていて、左の屏風(左隻)は奥に入って行く。そして合わせ目(右隻と左隻の間)のところに空間がある。このような全体で立体的な空間が感じられる構図に、人々は「迫央構図の完成形」と唸らされるのである。

新技法を駆使した新境地

 当時では画期的な新技法となる、松の幹や枝のどこにも輪郭線を描かない「付けたて」技法(輪郭線は描かずに、面によってその形を現してゆく技法)により、迫真性を極限まで高め、「片ぼかし」技法(墨の跡がはっきり出る面と墨の跡が水でぼける面を同時に作る技法、通常は筆全体に墨を含ませるが、片側のみ墨を含ませて描く)により、片側の墨の濃度を徐々にぼかすことで、枝の立体感を極限まで創出している。

雪を描かずして雪を描く

 圧巻は、幹や枝をふんわりと覆っているこの雪が「描かれていない」ということだ。雪の部分は紙の白地を生かした「塗り残し」なのだという。雪を描かずに雪を描いているのだ!

江戸時代の”3D屏風”

 この傑作を観る時、海や川の水の流れや焚火の火を見ていていつまでも飽きないように、遠くから眺め、至近距離で目を凝らし、また徐々に距離を離れていく、ということを何度も何度も繰り返せざるを得なくなる。
 輪郭線がないため、「雪は描かれてない」と言われなければそのことに気付けない(実際は、描かれてないと聞いていても描かれているようも見える)し、迫央構図の完成形と言われる完璧なまでの視覚的効果を実現した江戸時代の”3D屏風”は、観れば観るほどに、知れば知るほどに、驚きと感動が積み重なってくるのである。

その他の吉祥(お気に入り)

 「雪松図屏風」鑑賞を十分に堪能出来ればそれがほぼ全てなのだが、せっかくなのでその他の気になった作品についても若干触れておこう。

  • 展示番号10:黒大棗 利休在判(桃山時代・16世紀、北三井家)

 茶道具の一つである棗(なつめ)は、抹茶を入れておくのに使用する容器のこと。
全体に丁寧に塗り重ねられた漆黒の真塗が重厚感を感じさせる一方で、丸帯びた正方形のような形が可愛らしさを醸し、手元に置きたくなる一品だ。

 同じく、茶道具の一つである香合(こうごう)は、香を収納する蓋付きの小さな容器で、振々(ぶりぶり)とは、正月の子供用玩具で八角形の槌に似た形をしたもの。桐製で鳳凰が描かれた振々香合もその形の愛らしさが惹かれる一品だ。

 利休のいた戦国時代にも代表される、日本人に伝わる茶器への愛着の情緒といったものに想いを馳せた時、やはり筆者にも日本人の血が流れていることを実感するに至る。

  • 展示番号51:東都手遊図(源琦作、江戸時代・1786年/天明6年、浅野家)

 天明6年(1786年)の夏(新暦1~5月)に、北三井家七代、高就の誕生に先立って描かれた祝い品と伝わる。郷土玩具が現物の素朴さそのままに描かれており、「みみずく達磨」は当時、子供を天然痘から護るお守りとして好まれたという。子供への愛情を感じ取ったのか小学2年生の娘のお気に入りの一幅となった。