皇居前広場を臨む、東京都千代田区皇居外苑1-1という場所にあって精彩を放つブロンズ製の騎馬武者像、「楠木正成像」は、1900年(明治33年)に設置されて以来現在に至るまでこの場所に鎮座している。圧倒的なまでの迫力と存在感が胸を打つ。
楠木正成像(東京都千代田区)
楠木正成像は木彫の原型製作に約3年を費やし、完成に至るまでに10年という歳月に伴う知見と技術と情熱が注がれた大作で、岡倉天心が校長を務めていた東京美術学校(現在の東京藝術大学の前身)の総力を結集して制作され、高村光雲が指揮を執り、頭部を担当し、山田鬼斎と石川光明が身体、甲冑部などを、後藤貞行が馬の製作を担当した。
馬を胴、首、四脚、尾の7つのパーツに分けて分解鋳造するやり方は、日本初の分解鋳造法による銅像と言われている。
銅像本体の重量は6.7tにもなり、高さは約4mで、花崗岩の台座を含めると8mに及ぶ重厚感がその威厳を際立たせている。
1333年(正慶2年)に、流罪先の隠岐の島から戻った後醍醐天皇を、楠木正成が兵庫の道筋で出迎えたときの様子を、手綱を引きながら馬を抑え、頭を下げ拝礼しようとする姿として象っている。
日本三大銅山の一つであった愛媛県新居浜市の別子銅山開坑200周年記念事業として住友財閥から宮内庁に献納された。
最上義光像(山形県山形市)
これまで筆者が最も魅了されていた彫像と言えば、山形市にある最上義光騎馬像であった。銅像の重さを支えることが難しいため、純粋に馬の後ろ足二本だけで立っている騎馬像は世界的に見ても珍しく、山形市のものづくりのレベルの高さを示す象徴的な存在とされている。
もう一つの関ヶ原とも言われる「慶長出羽合戦」時に、長谷堂近辺に陣取った上杉軍(直江兼続の軍)に対峙した時のものとして作成され、「でん六豆」で知られる山形市の企業、㈱でん六の創業者である鈴木傳六が寄贈したものである。