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2nd Life from46

現役引退から31年、母校の初戦で味わう夏の残酷物語と見果てぬ夢

 こんなはずじゃなかった・・・。ズルズルと流れを変えられずに7点差を付けられての7回コールド負けで試合終了を向かえる・・・。あの夏だってそうだった。4点差を付けられた6回裏に更に3点を追加され、1点以上取らなければコールド負けとなってしまう7回表の攻撃で、先頭打者の代打で起用されて、相手の1年生ピッチャーの外角ストレートをセンターフライ。その年は「梅雨明け」の気象庁発表が無い年(記録的な冷夏により米不足となった年)で、梅雨が明ける前に筆者の「夏」は終わってしまった。

  • 久方ぶりの母校の公式戦観戦
  • 歴代最高潮の森井君フィーバー
  • 高校野球という残酷物語
  • 見果てぬ夢の「甲子園」

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「時空を超えた手紙」を18歳の誕生日を迎えた長女に届ける

 自分史上最高傑作と言ってきた(そんなに言う場所もなかったけど)娘が18歳となり成人した。娘が6歳の時の小学校の入学式前夜に、18歳になった自分宛の手紙を書かせていて、長い間保管していたその手紙を18歳の誕生日前に、当時の2013年のお年玉切手を貼って投函した。

18歳になった自分への手紙を書く6歳児(2013.4.9)。

18歳になった自分への手紙(一部住所等画像を修正)。

 県立高校入学試験日の夜におもむろに娘の口から発っせられた「受験までの応援、配慮、サポートありがとうございました」という言葉は、同じ歳の筆者には言えなかったなぁと、感心した。

 小学校3年生に始めたミニバスから、中学校、高校と続けてきたバスケットボールの高校最後の大会は、船橋市の最後の切符を獲得して県大会へ進出も、2回戦でシード校にあたることになり、県大会の試合前日には、「明日で引退だから」とサバサバした感じで、週末にはチームメイトと打上げも予定していた模様・・・。
 最後の夏を3回戦で終えた筆者だが、客観的な実力や情勢を見定めることもなく、最後まで甲子園への可能性を夢想していた(諦めることが悪だった)自身に置き換えると、にわかには信じ難い発言と心持ちだが、人それぞれに目指す所とか熱量とか色々な事情があるのかもしれない。50歳も手前になってくるとそんな風に思えるようになってきた。

船橋市の残り1枠の最後の代表として県大会出場決めた日のアップ(2024.6.1)。

 さて、この「時空を超えた手紙」だが、当人はさほど感情的になってる様子もなく、その辺にあるメッセージと同じような感覚なのかもしれず、大して盛り上がりもない。
 対して筆者といえば、長女と共に過ごしたあっという間の18年、色々と教わったり追体験したり、新しいことを経験できた18年だったよなぁ、とそんなに昔の話とは思えない小学校入学前夜の呼び起こされる想い出と一抹の寂しさが混じりながらもしみじみと感じ入っているという、父親のための自作自演イベントと化してしまったのであった・・・。

入学式前日に準備されていたランドセル、時の経つのはあっという間・・・。

27年前の出会いから熱烈なファンになった「銀河高原ビール」(ヴァイツェン)

 「銀河高原ビール」をご存知だろうか。近頃、筆者の良く行く近所のスーパーやコンビニで陳列されなくなってきた気がして心配になっている。

 1971年(昭和46年)より販売され、「あなたにもチェルシーあげたい」のフレーズで昭和、平成、令和と受け継がれた㈱明治のロングセラーのチェルシーが販売低迷による収益性悪化により、販売が終了されてしまったように、筆者が大好きなもの(緑系の箱の「ヨーグルトスカッチ」の方)がこの世からなくなっていくのは寂しいから、普段から愛飲すると共に、ここで強くお薦めしておきたい。

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高血圧防止、塩分量が気になるなら牛丼チェーンは「松屋」一択だ!

 厚生労働省による「国民健康・栄養調査報告」(令和元年)によれば、日本人が1日に摂取する塩分量は、男性で10.9g、女性は9.3gになるとされている。一方で、厚生労働省による1日の食塩相当量の目標量は7.5g未満とされており、高血圧及び慢性腎臓病の重症化予防のためには更に低い6.0g未満とされている。

 WHO(世界保健機関)では、成人の1日の塩分摂取量を5.0g未満にすることが推奨されており、日本人が世界的に見ても塩分過多であることを物語っている。日本高血圧学会でも厚生労働省と同じく1日6.0g未満と世界基準よりも緩い目安が設定されている。

  • 塩分と高血圧
  • 牛丼チェーンの塩分量比較

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国宝「伝源頼朝像」(京都神護寺所蔵)が頼朝ではなかったという衝撃

 40代以上の世代では、小学校の教科書から記載されていたであろう国宝「伝源頼朝像」。源頼朝肖像画として紹介されており、その容姿端麗な様に惹かれて、小学校高学年時の家庭科の授業で作ったエプロンのデザインに、その絵姿を裁縫したということも有り、筆者の思い出として強く刻印されている。しかし、この肖像画の人物が実は源頼朝ではなかった、という論争が勃発して真実味を帯びるているという。鎌倉幕府の成立年の定説が、1192年(いい国作ろう鎌倉幕府)から1185年に変わったりしているが、筆者としてはそれ以上の衝撃を受けている。

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