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2nd Life from46

現役引退から31年、母校の初戦で味わう夏の残酷物語と見果てぬ夢

 こんなはずじゃなかった・・・。ズルズルと流れを変えられずに7点差を付けられての7回コールド負けで試合終了を向かえる・・・。あの夏だってそうだった。4点差を付けられた6回裏に更に3点を追加され、1点以上取らなければコールド負けとなってしまう7回表の攻撃で、先頭打者の代打で起用されて、相手の1年生ピッチャーの外角ストレートをセンターフライ。その年は「梅雨明け」の気象庁発表が無い年(記録的な冷夏により米不足となった年)で、梅雨が明ける前に筆者の「夏」は終わってしまった。

久方ぶりの母校の公式戦観戦

 現役引退(高校卒業)後は、「高校野球」から急激に興味が引いていって、母校の夏季大会にもほぼ顔を出さずに(記憶にも残っていないがおそらく1回くらいしか観に行ってないかもしれない)、テレビで観ていた夏の甲子園本大会も三高(日大三高)が全国制覇した年に観たぐらいで、後はあまり興味も湧かなくなっていた。

 ただし、野球自体から興味がなくなったというわけでもなく、高校野球部のメンバー主体での草野球チームを作って活動したり、プロ野球や社会人野球は観戦してたりする。また、時を経て、引っ越し先の千葉県や、単身赴任先の山形県では、高校野球の夏の地方予選大会を観戦しに行ったりするようにもなった。

 しかし、母校の西東京大会となると別物で、母校の野球部の現OB会会長の30期の先輩が成し遂げたBEST4が最高成績にして、標榜していたはずの「頭を使った野球」が発揮される場面も少なく、「野球校」と言われる学校には完全に力負けし、自分達にはあまりにも高かったであろう壁を痛感して、自らが成し遂げられなかった数々の理由の欠片みたいなものに再度気付かされるような気がして、母校の野球を直視することに、あまり乗り気にならないのである(そのせいで、三高にコールド勝ちを収めるといった奇跡を見過ごしてもいる・・・)。

 同級のチームメイトの長男(筆者の長女と同い年で赤ちゃん時代には家に遊びに来て抱っこしてる)が母校の野球部に所属していて、最後の夏を向えること、おそらく母校の野球部史上最もプロから注目されている逸材、森井君が最後の夏を向えること、といった外的要因や筆者自身のセカンドライフ的な心持ち等々が重なって、この夏は、そこそこの気合を胸に、母校の初戦を観に府中市民球場へ向かった。

最後の夏のユニホームを引っ張り出してきて観戦中に羽織る。

歴代最高潮の森井君フィーバー

 試合当日は、ドジャースカージナルス、アスレチックスを含む日米14球団のスカウトが森井君を観に府中市民球場に集結したという。183cm、86kgという恵まれた体格から、投げては最速153㎞、打っては高校通算45本塁打を記録している、投手もこなす超高校級の内野手。小学6年生時には「西武ライオンズジュニア」に所属していたとのこと。※スポーツ報知、日刊スポーツ記事参照

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高校野球という残酷物語

 あと1点でも取られればコールドで試合終了の7回裏、前の回を無難に乗り切ったこの試合3人目の投手が投じた球がフォアボールの上ワイルドピッチとなりノーアウト2塁。次の打者が送りバントをしてきたところで、投手が処理を焦り一塁側に暴投、その間に2塁ランナーがホームに生還し万事休す。悪夢としか言えない状況が目の前で繰り広げられスタンドも言葉を失う。

 筆者とチームメイトの長男は指の骨折で今日の試合は出場を見送り。試合前に話しに行った際も次の試合には何とか間に合わせたいと話していて、当然次の試合があることが前提だった。

 こういった予想外のコールドの幕切れでなければ、最終回等で、筆者の時と同じように、代打等での最後の舞台が与えられたかもしれないが、そういうことすらも出来ない突然の幕切れ。試合後に父母会席に挨拶に行くも、チームメイトの奥さんも号泣で話せるような状況にない。

 久しぶりの母校の試合は自分が現役だった頃と同じようにストレスフルな野球をしていた。劣勢の流れに抗えずズルズルと敗北色が濃厚に、押し返せないもどかしさ、打てないのはどうしようもないにしろ、守りでもマズかった。回の先頭打者に四球、相手がバントしたいのに四球、サインプレー(二塁一塁時の一塁牽制プレーが2回もあった)なのに暴投、バント処理でのフィルダースチョイスに暴投、逆に相手はここぞという場面でのセフティバント、森井君の直球にもコンパクトにセンター返し、やることを皆がしっかりやっている良いチームに感じた。

翌日の朝刊(日刊スポーツ紙)。

見果てぬ夢の「甲子園」

 現役の選手達も監督も父母会もOB会も皆頑張った一日だったはずだが、結果もこの試合中の過ごした時間も全く満足できるものではない。何と表現するのが適切なのか分からない、いつも思うことだが、突き詰めると「甲子園」に全特化したチーム発想にはたぶん無く、個々の力を絶妙に引き出し、頭を使った野球で、チームワークで、周囲に熱が溢れる感じで、桐朋の個性で、特別に勝ち進む奇蹟を夢見続けている気がしている。

 校長と監督に挨拶して、球場を後にするも、同期のチームメイト数名と喉も気持ちも潤しに、府中の街で一杯行くことにする。(なんだかんだ言っても)生きているという実感と共に。

試合前の母校のシートノック。@府中市民球場(2024.7.7撮影)