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2nd Life from46

4年ぶりの人事異動を期に、自身の「情動プロファイル」を把握する

 10月からの本部における数年ぶりの大規模な組織再編に伴い、約4年ぶりの人事異動発令を受ける。サラリーマンにとって転勤とは、現在の業務、人脈、部署間の政治的状況や個々人の生活習慣等を一変させる一大イベントに成り得るわけなので、ある程度のストレスや不安に繋がることもあり、人によっては期待感にも繋がるものだと思う。

 年齢に伴うものなのか分からないが、今回はおそらくはこれまでになくソワソワ感がもたげている感じがしている中、ちょうど今読んでいた本に書いてあった、自身の「情動プロファイル」を知るための6つのテストを通じて、落ち着きを取り戻すために少し整理しておこうと思う。

人事異動というイベントのインパク

 コロナ禍を通じて浸透してきたリモートスタンダード(勤務地は自宅で、必要に応じて事務所等でのサテライト勤務を実施)組織への転勤ということで、上司や部下と同一の勤務地というものが存在しない、初めての体験となる。

 実際、上司の主なサテライト事務所は、私や部下とは別の場所にあり、私も部下も所属事務所とされる事務所とは別の場所をサテライト事務所と指定されている。勤務場所一つをとっても以前にはなかった混沌ぶりだ。

 ゼネラリストサラリーマン管理職の転勤が強烈なのは、仕事が全く違うことになる(場合によっては初めて接する業務になる)、社内なので全く0になるということでもない時もあるが、関係者や登場人物が刷新され、誰も知らない環境に身を置くことにもなる、郷に入っては郷に従え、で部署間及び部署内の政治的な力関係、利権関係を一から肌で感じて悟っていかなければならない、といった職場環境の激変の中でもマネジメントが求められることにある。

 一方でそんな当事者の境遇とは別に、上司からは「どうなってるの?」、部下からは「どうすればいいですか?」のお決まりのサンドイッチは必ず訪れる(敢えて試練を与えてくる人もいなくもない)。

 一通り職場の環境に馴染んで一定の発言力や存在感を得ていくまでには、筆者の感覚からすると、春夏秋冬(1年間)を経験する時間的な猶予が必要とされてくる。

 また、仕事をしていく(会社生活を営んでいく)上では、人間関係がその土台となり、全体を覆ってくるわけだが、自身と全く噛み合わない人も一定数はいるわけで、自身の職場環境における人間関係を一から地道に作り上げていくことが必須となる。

 この辺りのことが頭を駆け回ってくるので、ソワソワしてくるわけだ。

心地良い職場とは

 思えば、現在の職場に着任した際から、勤務にあたって高めておくこととしたことがあった(はずだった)。

  • 何が起きても(業務が重なったり、思うように行かなかったり、想定外のことが起きたりしても)、一呼吸おいて冷静に対処すること。その時点での最善策を普段通りに考えること。
  • 社内の関係者皆に対して、呼び捨てではなくさん付けで話すこと。不必要なアピール(威嚇やマウント取り、怒りを始めとした気分の発露)はやめること。

 といったことを意識して臨んできたはずだが、なかなか実践し定着させることは至難の業だ。

 いったい、心地良い職場とはどんな環境だろうか、先日のアーティストデートでメモったものを見返してみると、

  • 話せる(話していて建設的で楽しい気分になる、サシで飲めるような)人がいる
  • 人間味のある(関心を持ってくれる、気持ちの機微が分かる)上長がいる
  • 程良い達成目標がある、業務にやり甲斐が見出せる
  • 自身が役に立っている感、業務を回している感が得られる
  • プライベート含めて魅力的な人がいる

といったようなことが並んでいる。

 

 2年近くに渡って担当全員で関わってきた主要施策も今月末を持って一旦区切りがつくし、温厚であることを自らの長所として主張し、それで全てが済まされると確信している振る舞いの上司の、

  • 長々と話してるものの、要約すると「引き続きよろしくお願いします」しか言ってない。
  • 「蜜に連携させて頂きながら」「皆様と議論させて頂きながら」といったフレーズを頻発させながらも、連携も議論も一回もした記憶がない。
  • 話しの終盤にも関わらず「まずもって~」と話し、繋ぎ言葉として「すみません」と、全く悪いと思ってる節は無い不必要かつ次第に不快感が増す口癖が多い。

 こういったことに耐え続けるのもウンザリし尽くしたところでもあり、異動の期が熟したということなのかもしれない。実際には所掌している3つのグループが組織再編の対象となったため有無も言えない状況があるわけだが。

 部下の社員が突然亡くなって警察の取り調べを受けたり(死因は急性糖尿病と死亡解剖後判明)、最終出社日に失踪した契約社員を捜索したり(退職後となった10日後に無事を確認)、本業以外のことも多々あった一時代が確実に終わる、ということだろう(次の部署ではないことを願うばかりだ)。

 

 このような人生における一大イベントを、自分自身で決めるのではなく会社が決める(決めてくれる)環境に長年身を置いていると、油断すると、何事においても自身で決めない人任せの習性が身についてきてしまうような気もするが、そうはならないと思っておこう。

自分の情動プロファイルを知る

 今回参考にしたのは、情動はれっきとした理由があって進化し、たいていは役に立つが、とくに我々の暮す現代の世界では逆効果をもたらすこともある。自分の感情を手なずけていつでも役立たせるために、自分の情動プロファイルを知ろう、といった主旨の一冊。

 以下、引用は、『「感情」は最強の武器である』(著者:レナード・ムロディナウ(Leonard Mlodinow)、訳者:水谷淳、発行所:東洋経済新報社、初版:2023年6月27日)

 

情動は思考や決断、行動にたいてい好ましい影響を与えるため、情動の影響を完全に封じるのは良くない。しかしその一方で、情動が強すぎると生きづらくなる。情動プロファイルに良し悪しはないが、生きるのが楽になるような情動プロファイルもあれば、逆に不必要な苦痛を与えたり、自分の望む人生を邪魔したりするような情動プロファイルもある。

テスト1 決意力

 「決意力」とは、下記のように定義される。

前もって定められた動因から外れた新たな状況を評価して、それに基づいて行動するかどうかを決定する能力

 行動すべきかどうかを決定したり、困難で不愉快であってもやりつづけようと奮い立たせる、この情動では、平均スコアを大幅に下回ってしまった・・・。あれれ、懸念していたサラリーマン体質がここに影響しているのか・・・?

テスト2 羞恥心と罪悪感

 「羞恥心と罪悪感」とは、下記のように定義される。

羞恥心とは、自分や他人が自分のことをどう見ているかを心配すること。罪悪感は、自分の行動が他人にどんな影響を与えるかを心配することに関係している。(中略)羞恥心には隠れたり逃げたりしたいという欲求が伴い、罪悪感は謝ったり修復したりしたいという気持ちと結びついている。社会交流においてこれらの情動は、悪いおこないや犯罪を思い留まるとともに、修復して謝罪し、償う行為を促すという役割を担っている。

 この情動は平均的な範囲に収まっている。

テスト3 不安感

 「不安感」とは、下記のように定義される。

不安感が強すぎるとストレスになり、ストレスホルモンの分泌量が慢性的に多すぎると幅広い医学的問題を引き起こすため、健康に悪い。

 この情動は平均的な範囲に収まっている。

テスト4 怒りと攻撃心

 「怒りと攻撃心」とは、下記のように定義される。

怒りと攻撃心は有害である、あるいは少なくとも非生産的であるとみなされることが多い。情動のコントロールに気を配ることが肝心だ。後悔するような行動を取りかねないだけでなく、偏頭痛や過敏性腸症候群、高血圧など、過剰な怒りによって引き起こされるさまざまな身体的問題を患うかもしれない。

 このどちらの情動も、平均的な範囲より高い。これはある意味予想通りの結果となってしまった。コントロール要という結果だ。

テスト5 幸福感

 「幸福感」とは、下記のように定義される。

幸福感のベースラインレベル、つまり自分のDNAによって設定された基準点を測ることができる。その基準点は、あなたが幸せに「なりやすいかどうか」を決めているだけだ。あなたが実際に幸せかどうか、どのくらい幸せであるかは、そのベースラインだけで決まるのではなく、外的環境や自分の行動などほかのいくつもの要素に左右される。

 オックスフォード幸福感テストと言われるこの項目は、平均的な範囲を僅かに下回る(▲1点)。Well-Beingの意識的な取り組みがまだまだ足りないということかな。

テスト6 恋愛/愛情

 「恋愛/愛情」とは、下記のように定義される。

恋愛や愛情に対するあなたの「多感さ」を測る。つまり、他者に寄り添って愛情深い親密な関係にあることを、どの程度心地よく思うかということだ。

 この情動は、平均的な範囲を上回る。親密な愛情を受け入れやすいと評価される結果だが、ともすると(人からの愛を)欲しがり過ぎる傾向があるということなのかもしれない。

自分の情動を操る有効な三つの方法論

 自分の情動プロファイルを踏まえた上で、自分の感情を手なずけていつでも役立たせるための方法論として以下の三つがあるという。

  • 受容
    ストア哲学の方法論の中核をなす考え方で、最悪の事態が起こり得ることを受け入れて、前向きに対応するには何が出来るのかに集中すれば、情動的な痛みは和らぐだろうということ。
  • 再評価
    ネガティブな評価を完全には拭い去れなくても、見方を少し変えてポジティブな評価をすれば新たな考え方の可能性が加わって、物事をネガティブにとらえる傾向が抑えられるだろうということ。
  • 表現
    好ましくないネガティブな情動を表現(話したり、書いたり)することは、その情動を鎮めるのに役立つだろうということ。

 上記の3ステップを本稿では辿ってきたつもりだが、果たしてその効果たるや如何に・・・。