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「信長の野望 大志」三村家親プレイ記録 第壱話ー葦原中国の主の尼子晴久ー

 本記事は、信長の野望 大志」シナリオ「厳島の戦い」、三村家親プレイ記録の第壱話ー葦原中国の主の尼子晴久ーです。時は1554(天文23)~1555(弘治元)年。

[プロローグ]

尼子と毛利、三好と浦上

 1554(天文23)年、備中の二つの城(備中松山城備中高松城)を拠点に、国力34位からのスタート。

備中1国を治める小大名の三村家

 周囲は毛利、尼子、浦上と隣接しているが、そのうちの毛利と尼子からは敵視されており、親善活動を実施しても交渉に応じてくれない険悪な状況。

毛利は浦上と同盟を結んでいる

尼子は山名と同盟を結んでいる

 毛利と尼子を敵に回して立ち振る舞える国力じゃないので、少なくとも浦上とは仲良くしておかないといけない。ただし、浦上は毛利と5年の長期同盟を締結中なので、毛利と事を構えた場合には全く信用出来ない。なので、毛利とはなるべく争いを避けつつ、その間に強い後ろ盾が必要だ。
 ここは家親正室の実家、目下の国内最大勢力である三好に頼ることにしたい。ということで、浦上と三好に親善活動を開始する。

浦上は毛利と同盟を結んでいる

三好は目下の最大勢力であるがどことも同盟関係はないようだ

清水宗治、一門入り

 そして、統率(88)、武勇(84)、知略(85)と戦闘に関連する全ての数値で家臣団トップの値を叩き出している三村家のエース、清水宗治に家親の娘を嫁がせ一門とする。

今の三村家の絶対的支柱、清水宗治

 順調に親善も進み、浦上、三好と通商協定を締結し、翌1555(天文24)年4月には、それぞれと同盟締結。これで尼子への備えと合わせ浦上が期待できない毛利への備えともなる。

浦上、三好の両家とは仲良くやっていこう

葦原中国の主、動き出す

 9月、とうとう尼子から宣戦布告され、尼子晴久自らが率いる1万を超える大軍が備中松山城へ攻め寄せてくる。

尼子晴久は天下を目指している全く危険な男だ

 三好と浦上が当方に加勢し、三好から金銭128、兵糧2105、軍馬195、鉄砲83の援助をもらう。尼子と同盟関係にある山名はもちろん尼子側につく。

 この援助は援助する勢力の国力に影響され、潤っている勢力からの援助は、小国の収入の何ヶ月分になる場合もあり馬鹿に出来ない貴重な供給源となる。現状では最大勢力の三好といえど、この程度の物量だが、ありがたいことに変わりはない。

三好長慶よ、ありがたい感謝します。

厳島の戦いが勃発

 ・・・とここでこのシナリオタイトルともなっている厳島の戦いが勃発。尼子戦に集中したいこのタイミングで、このように自身の集中事とは関係なく世の中は刻々と動いている、これも戦国の世の慣わし。

勢いに乗る毛利元就

緒戦の備中松山の戦いに勝利する

 毛利が大内とのイベント中の間にも、我々は目下の尼子に対しないとならない。国力差に伴う兵力差はいかんともし難く、三好と浦上の双方に援軍を要請し、共に軍馬800の譲渡を条件に交渉をまとめる。

 10月に入ると、尼子の三村攻めの隙を突いて、毛利が尼子に宣戦布告。これは我々にとっては好都合、尼子の戦力が分散される可能性がある。

 防塁(Lev5)、巡見所(Lev5)、砦(Lev4)と内政でコツコツ防御を固めた備中松山城にて、三好からの援軍の十河一存軍、浦上からの援軍の伊賀久隆軍と合流し、総大将にエース清水宗治を頂いて、兄の清水宗知の部隊と共に尼子軍を迎え撃つ。

 尼子がいつ攻めてきてもおかしくない状況からのスタートで、外交(同盟)と内政(防御施設の建設)を駆使してこの時に照準を定めていたわけで、絶対に負けられない戦いだ。

尼子晴久軍を見事に撃破!!

 

 備中松山の戦いに清水兄弟等(もちろん援軍のおかげも)の活躍で見事に勝利し、その足で美作の高田城へ軍を進めると敵兵は逃亡、高田城の攻略に成功する。

我々が高田城を攻略している一方、毛利も比熊山城に兵を進めている

 ここで更に痛んでいる尼子に追い討ちをかけたい欲が出てくるものの、これ以上の侵攻は兵力的に難しいため、毛利の尼子攻勢の様子を見つつ体制を立て直すこととし兵を引き、その年は暮れた。