246blog

2nd Life from46

喜寿を迎えた父親に会いに行きながら、脳裏に去来するほろ苦い思い出

 長寿を祝う日本文化の一つである「喜寿」は、77歳の誕生日のお祝いです。この世知辛い世の中で、77年もの歳月を生きている、そのことだけで尊敬に値する。

 いつしかブログ記事作成の縛りとなっていた、十二週に渡っての全12カテゴリの記事の投稿が本稿で完結となる(ただの自己満足です)。

不撓不屈

 筆者の父親の場合は加えて、2014年7月に膀胱癌と診断されて、セカンドオピニオンとして診察を依頼した公益財団法人がん研究会有明病院の権威とその業界で崇められている人に”余命1年半宣告”を受けて、2019年8月には脳出血で脳を外科手術して、要介護認定上最も重い”要介護5”に認定されてしまう。

 筆者の母親の献身的なサポートも功を奏し、致命的とも言える2つの修羅場を乗り越え、健康だった頃とは比べようはないが、身の回りのことも一人で出来、ゆっくりとだが日常生活を送れる状態にまで回復しており、不撓不屈とはこういうことだと、身を持って体現し続けている。

最新の人口推計

 長らく筆者の親世代である団塊世代が最多人口であったと記憶していたが、直近(2022年版)の総務省統計局の人口推計を見たところ、日本人の男性で一番人口が多いのは団塊ジュニアの今年50歳を迎える世代となっていた。団塊ジュニア世代の主張や要望がまとまることがあるとするならば、数の理論で言えば政治的イシューを通せる時代の到来と言えなくもないか。

日本人男性の年齢別人口分布(単位千人、総務省統計局

隔世遺伝の絵の資質

 ネットで色々と喧伝されているプレゼントも考えたが、やはり会いに行くことに勝ることはないと思い直し、娘に、喜寿のテーマカラーは一般的には紫と言われていること、「喜寿」と「77」の文言は入れてくれ、とだけ伝えて任せ、出来上がった絵を手見上げに実家に向かう。

いい感じで仕上げてくれた(筆者には無い才能だ)。

***

ほろ苦い思い出

 父親と絵の組合せで言うと、ほろ苦い思い出が実家に向かう車中で去来する。
 小学校5年生から6年生にかけての春季講習から、中学受験のための塾通いが始まったのだが、ちょうどその頃がヤマハ音楽教育システムジュニア科専門コースの修了年であり、3歳から習ってきたピアノやエレクトーンの最後の発表会が間近に迫っていたのであった。
 発表会の題材は「スイミー」で、メンバーのそれぞれが作曲したものを集めて”組曲”として演奏したはずである。その辺りの記憶は曖昧なのだが、今でもはっきりと覚えていることがある。

 「スイミー」は、オランダ出身でアメリカやイタリアで活躍した絵本作家であるレオ・レオニ(Leo Lionni、1910年~1999年)が著者で、日本では谷川俊太郎の翻訳が有名であり、小学校の教科書にも採用されているようだ(娘が言っていた)。協力し合うことの大切さや、個性の尊重といった学びの啓発もさることながら、ユダヤ人であるが故の孤独と喪失を乗り越えてきたレオ・レオニの人生哲学が込められた作品である。

 皆んなで「スイミー」の絵を作って会場に飾ろうということになって、それぞれが魚の絵を分担して描くことになった。どういう経緯だったかは定かじゃないが、スイミー(大きな魚の目の部分)周辺の担当が筆者となった。当時の筆者は、塾の勉強をしていることが一番偉いと勘違いしていた節がおそらくあって、魚の絵の提出期限を守らず、その上、父親にその任務を預けてしまった。父親は、精緻な描写による魚の絵を数匹書き上げ、それを先生に提出したのである。

スイミー(黒い魚)周辺が筆者の担当・・・。

 どこから見ても、小学生が書いた絵でないことがあからさまな父親の絵に、先生も周りのメンバも何も言わなかったのだが、皆んなで最後の発表会を作り上げよう、といったムードに水を差す行為であったろうことが、当時の筆者でも痛感したのである。近視眼的かつ自己中心的な振る舞いによる代償、すなわちこの居た堪れない感情と居心地の悪さを学んだのだと思う。

***

実家に咲く紫陽花。

 運転免許証を返上し車も手放しているため、数年ぶりじゃないかという鰻屋さんでうな重を食べて、間違いなく数年ぶりだというイオンモールでかさばる物を買って、気軽に行けなくなってしまった角上魚類で寿司と刺身を買って、注文していた山形県東根産の佐藤錦がちょうど到着して・・・、皆で食べられること、歩けることの幸せを噛みしめて家路に着く。