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【父が娘に伝える大日本帝国の物語】<S004>昭和17年2月ーサンタバーバラ海峡における米本土砲撃ー

 【父が娘に伝える大日本帝国の物語】本稿は、昭和17年(1942年)2月ーサンタバーバラ海峡における米本土砲撃ーに纏わる物語です。

 歴史は人の手を介して伝えられるものであるから、そこには取捨選択が有り、伝えられる側も人であるが故に感情が添えられる。置かれた立場により大義が何通りも存在するから、起こった事実とそれぞれの事情を多面的に捉えようといった意識がいつも肝要だ。我が国の歴史の物語に触れることが、自分の生まれた国に対する興味と愛着、自身のルーツに対する敬意、自分の頭で考える未来に繋がれば嬉しいと思う。

 真珠湾攻撃の後、第6艦隊(潜水艦のみで構成されていた日本海軍の艦隊、1940年11月15日編制)所属の伊号第17潜水艦は、アメリカ西海岸に進撃、敵増援部隊のハワイ入港を阻止せよとの命令が発せられていた。

 伊号第17潜水艦は、昭和16年(1941年)に竣工した当時の新世代の潜水艦で、甲板の耐水格納筒に水上偵察機1機を搭載し、アメリカの潜水艦を上回る26,000㎞の航続力を備えていた(無給油でアメリカ本土まで到達し攻撃可能)。艦長は、西野耕三中佐で先任将校兼水雷長として、のちの伊号401潜水艦艦長となる、南部伸清少佐も乗艦していた。

2月23日 エルウッド油田砲撃

 ロングビーチ沖合の潜水艦の乗組員によれば、色とりどりのビーチパラソルを広げ、何百という数の人間が日光浴をしていたり、夜は車のヘッドライトが煌々と浜辺を照らし、本が読めるほどまぶしかったりと、戦争などどこ吹く風という様子で、アメリカ側は驚くほどの無防備ぶりだったという。

 そんな中、伊17潜では18:30に総員配置命令が下され、19:10には日本軍による初めてのアメリカ本土への砲撃が開始されるのである。

 目標の油田に伊17潜の舷側が向いたとき西野の下命が響いた。「撃ち方はじめ!」午後7時10分だった。1812年米英戦争以降、アメリカ本土に砲弾が撃ち込まれたはじめての瞬間である。この日はジョージ・ワシントンの誕生日であり、ラジオからはルーズベルトの炉辺談話が流れていた。7時ちょうどに放送は始まっていた。放送目的はアメリカ国民の不安を鎮めることにあったが、伊17潜の砲撃によって、地方在住のアメリカ国民はさらなる不安に陥っていた。
※一部漢数字を数字に置き換えています
伊四〇〇型潜水艦 最後の軌跡(上巻)』著者:ジョン・J・ゲヘーガン(john J.Geoghegan)、訳者:秋山勝、発行所:㈱草思社、初版:2015年7月30日

 波にもまれる甲板では水平に等しい弾道を確保するのは容易ではなく、砲弾が目標に着弾する確率は高くないが、14センチ砲による30分近くに及ぶ計17発の砲弾による砲撃は、その後におけるアメリカ海軍の艦艇、人材、そして予算面において少なからず負担を強いることとなり、西海岸の警備に戦力を割かなければならなくなることで、日本の目論見は一定の効果を生むことになる。

アメリカ西海岸、サンタバーバラ海峡(東にロサンゼルス)

2月25日 幻のロサンゼルス空襲

 また、西海岸一帯を精神的に不安定な状態に陥れることが伊17潜に与えられた命令であったのなら、その任務は当初の目論見を上回る予想外の結果を生んでいた。エルウッド砲撃の恐怖心がアメリカ側の過剰反応を呼び起こしたのだ。

 米軍の防空レーダーが太平洋上をロサンゼルスに向かって進む飛行物体を感知したとして、ロサンゼルス全市にサイレンが鳴り渡り、サンタモニカからロングビーチにいたるまで灯火管制が敷かれると共に、合わせて無線封鎖が行われ、日本軍による空襲と勘違いした米軍により、1,400発を超える高射砲の砲弾がロサンゼルス上空に撃ち尽くされ、一帯を恐怖に陥れることとなった。無論、日本軍機が上空に存在することなどなく、幻のロサンゼルス空襲である。

 

 もちろん後の日本を廃墟と化した米軍による空襲とは比べるべくもないが、初の米軍の日本本土への空襲であるこの年の4月のドーリットル空襲よりも前の段階で、アメリカ本土への砲撃を実施していた軍令部や連合艦隊司令部の、攻撃は最大の防御に近い発想と圧倒的な国力の差を踏まえた苦心の策の一端がにじみ出ているように思う。

 一方で、伊17潜単艦での攻撃である点や、焼夷弾を搭載していなかった点に鑑みると、油田を炎上させることが目的だとするには中途半端な感は否めず、真の作戦目的が定まっていたのかは疑念を残す。

 1812年戦争、いわゆる米英戦争以来、アメリカ本土に対して行われた外国からの初の攻撃であるという点では、エルウッドへの砲撃は特筆に値し、決して過小評価などできない戦果でした。この作戦で第6艦隊は、今次の大戦の大半にわたり、兵員や物資、艦艇など、アメリカ海軍のかなりの戦力を西海岸に釘づけにしておくことに成功したのです。それを可能にしたのがわずか17発の砲弾でした。
※一部漢数字を数字に置き換えています
伊四〇〇型潜水艦 最後の軌跡(上巻)』著者:ジョン・J・ゲヘーガン(john J.Geoghegan)、訳者:秋山勝、発行所:㈱草思社、初版:2015年7月30日

 学生時代の教科書学習においては一切触れられてもいないであろう(少なくとも筆者は40歳を超えるまで知らなかった・・・)サンタバーバラ海峡におけるこのエルウッド油田への砲撃の事実は、やられる(被害)ばかりが戦争ではない、やる(加害)側の側面も合わせ持つこと、日本人として知っておきたいこと、として本稿で取り上げることとした。