本記事は、「信長の野望 大志」シナリオ「厳島の戦い」、三村家親プレイ記録の第六話ー出雲備後平定ーです。時は1565(永禄8)年。
[前話]
国力は史上最高の8位へ
1565(永禄8)年が明ける。国力は、三国同盟の三強(北条、武田、今川)、南部、毛利、島津に次ぐ、上杉謙信の長尾家を上回る史上最高位の8位。
武将の主要能力値である「統率」「知略」「内政」「外政」の4項目で家中最高値である天神山城主の宇喜多直家。
主要能力値残りの「武勇」の家中最高値で唯一の能力値100超の山中鹿之介は弱冠21歳でまだまだ成長が期待できる。
室町幕府の滅亡
4月、統率、武勇、知略の育成拠点として伯耆に法勝寺城を築城。城の隣接拠点に用兵塾(武将の統率経験の上昇による統率力の開発)、武芸塾(武将の武勇経験の上昇による武勇力の開発)、術策塾(武将の知略経験の上昇による知略力の開発)を設置し施設レベルを上げていくこととする。
各施設レベルがある程度上がったところで、領内の各城に最低3武将を配置した上で残りをこの育成拠点に配置して能力開発を実施することとする。
ゆくゆくは、治世塾(武将の内政経験の上昇による内政力の開発)と、交渉塾(武将の外政経験の上昇による外政力の開発)も設置して、全能力値の開発拠点としたい。
浦上家吸収間もない時機に乗じた山名家の工作により、島村盛実、浮田国定と相次いで山名家へ投降する。この2名はいずれ処断することとして覚えておこう。
6月、なんと、同盟関係にある三好が二条城を攻略し足利家を滅亡させてしまう。室町幕府が終焉し、名実共に戦国の世の幕開けである。
毛利攻め
次の作戦目標は、東の山名か西の毛利か状況を伺っていると、毛利が大内攻めで領内の兵力が手薄となる。河野が毛利へ宣戦布告し能島城へ侵攻するのと合わせ、毛利へ宣戦布告する。
山陰(出雲)方面と山陽(備後)方面の2ルートより侵攻する。敵兵力が比較的温存されている出雲方面で敵を叩いてから、手薄になった備後方面へ出動することとする。
敵は出雲に26,700の兵力を集結させて、小早川隆景が補佐する毛利隆元を総大将として松江へ布陣。予め巡見所にて兵力優位な戦場としているので、こちらは、黒田官兵衛を総大将として、尼子晴久隊、本城常光隊、三村鶴姫隊の24,800で突っ込む。
出雲国平定
士気、攻撃、防御のいずれもが数値的にはやや敵方優先の中、被害率40.8%を出しながらも緒戦に勝利する。その勢いのまま新山城、三刀屋城を攻略する。
出雲国の平定が成されたことで、倉敷商圏に続く二つ目の特殊商圏である出雲大社商圏を手に入れると共に、出雲大商圏が形成される。
備後国平定
一方、山陽(備後)方面からは、三村家親本隊35,500が進軍。河野の能島城方面への侵攻もあって、更に兵力が低下してもぬけの殻状態の、備後国神辺城、翁山城、比熊山城と無傷なまま立て続けに攻略し備後国を平定。
この頃になって、大内攻めを吉川元春に任せてようやく戻って来た毛利元就だが、無傷の三村家親本隊が吉田郡山城にて包囲する。
吉田郡山城の攻略も時間の問題の中、大雪の年末が暮れていく。