ファースト・アーティストデート(今年の2月27日)以来、トータルで18回を積み上げて来た今年のアーティストデートを振り返ってみたい。
月1回のアーティストデート
当初はアーティストデートを実施する周期が定まらず、毎週のように実施した月もあったが、6月以降は毎月1度のペースで定着してきた。殆どを喫茶店(計15回)で過ごし、蕎麦屋、居酒屋、図書館が各1回だった。
所要時間は、最短で30分というのが1回あった(この時は嫌なことに固執して興醒めして撤退)が、最長でも2時間で、概ね1時間ちょっとというところだ。
思っていた以上に自分一人で自分と向き合うというのは長くは続かないのである。スマホに手が伸びたり、読書してみたり、過剰注文によりお腹いっぱいになって眠くなったり、周囲の客が気になったり、と思考中断要因には枚挙に暇が無い。
それでも、アーティストデート専用に用意したノートに、頭に浮かんだことをノート1ページ分を目安に書き出していく。
マッサージや床屋、人間ドックなどと組合せて身体のリフレッシュを兼ねて実施する場合もあって、桜や海を眺める時間を取ったりすることもあった。
思考をめぐらせる頭の中
個別具体的な案件、例えば、夏休みにしたいことや会社の人間関係や仕事のこと、毎月の健康に関するテーマ、食い過ぎ予防策、ブログの構想を考えることもあるし、もっと抽象的で中長期的な、近い将来に自分がありたい状態や自分がどういうことに幸福を感じるかといったことを考えることもあれば、行き着いた先が、目指したい生き方のようなものへの気付きだったり、自己分析のようなことになることもある。
善悪とは別に、時と場合といったタイミングや程度、組織や社会性といった中での立ち振る舞いといった観点に立つと、「真剣に取り組む」ことは別に悪いことではないと思うが、なーなーなことが世の中に氾濫している中で、必要以上のストレスを抱えることに繋がる。「感情が豊か」なことも別に悪いことではないと思うが、感情を露にした社会生活は息苦しく様々な障害を呼び起こす。
目指すべきありたい姿と実生活との折り合い、先の不安や今考えてもどうにもならないことに支配されない生き方を模索していく。
アーティストデートを実施していることでの変化
気付いたら単に月日が流れていっているということが起きるこの世界で、自分に纏わることを考えて、書いて、読み返してというサイクルがあることで、目標や幸せへの心掛けといった、自分が生きていく上で大事なことを目に見えて意識する機会となっていることは間違いないだろう。
断絶せず継続して取組むことにより、ルーティン化され、積重ねられていく感じが、小さな自信に繋がっていくと同時に、真面目に生きている証な気がしてくる。
思い付くことは自由なので、ブログの新たなカテゴリや記事のネタはボツネタを含めて割と尽きることがない。それを形にする作業時間が追いつかないくらいに、創造性が高まりつつある?と言えるようになるといい。
舞い降りたWISHリストの完了事項
これまでやり慣れているTO DOリストではなく、やりたいことを書き連ねるWISHリストを書き出すことにしたが、これも当初はなかなか出て来ないのである。興味を持つゆとり、好奇心を着火する情熱といった自分自身の根幹にあるものとの対話が必要なのだ。
例えば、喫茶店に通うことが多くなったことで、様々な種類のコーヒー(ブルーマウンテン、トアルコトラジャ、マンデリン、モカ、グアテマラSHB等々)を飲む機会が増えて家でも飲むようになって、色々なコーヒーを飲んでみるということは実行されている。やれてないことの方が多いが、グランピング施設でBBQ、家族でのホテル泊、現有全資産の見える化、NISAでインデックス投資開始、当面の挑戦資格の照準合わせ、等は実施出来た事項になるだろう。
今後のアーティストデートの形とは
「アーティストデート元年」を終えての、筆者の考えるアーティストデートの骨子は、下記の5点に凝縮される。
- 自己と今への研ぎ澄まされた集中
- 幸福は細部に宿る
- アンコントロールな事柄を如何にWellbeingで捉えるか
- 目標や幸せへの心掛けに挑戦し、断絶せず継続して積み重ねていくこと
- 日本(四季)を実感しながら過ごす時間を多くする
それと、最近は下記要素も意識して過ごしていければと考えるようになった。
- 今の生活に直接登場しない昔の一時代の人との有機的な繋がり
これからも自由な発想で、想いのままの時間を過ごす月1度の一人っきりの営みを楽しんでいければと思う(食い過ぎと散財には気を付けながら)。